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SikabaneWorksが関係するコンテンツ(主に*band系ローグライク)の開発近況・補足から全く個人的な雑記まで。

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2011/07/09

[歴史][ファンタジー]トールキンの理想とするホビットの「牧歌的風景」

前読んだこの本は基本的に現実の社会史を見るためのものだ。だが、正直序盤の一節に書かれていた以下の箇所が、そこから基づいて架空のファンタジー世界を見るにも面白い要素を持っていると思うので、一つ丸ごと引用させてもらうことにした。

ちょっと長いかも知れないが、それもこの本が、これくらいの密度の話を上下巻本文数百ページでとうとうと語る良書だと言う証と言うべきか。

 こんなことは本来、言うまでもないはずなのだが、やはり言わざるを得ない。今日、昔のほうが暮らしやすかったと考えている人がいるからだ。はるか昔の生活には素朴さや静謐さ、豊かな人間関係、精神性ばかりか徳もあり、それが失われてしまったと彼等は主張する。このばら色のノスタルジアを抱くのは概して富裕層に限られることを肝に命じてほしい。穴式便所を使う必要のない人が小作農の暮らしを懐かしむのはたやすい。一八〇〇年ころの西ヨーロッパか北アメリカ東部を想像してほしい。木骨造の質素な家の炉辺に家族が集まっている。父親が声に出して聖書を読むなか、母親が牛肉とタマネギのシチューをよそおうとしている。赤ん坊は姉の一人があやし、長男はテーブルに置かれた陶器のマグに水差しから水を注ぎ、彼の姉は馬屋で馬に餌をやっている。外では自動車の騒音が聞こえないし、麻薬のディーラーも見当たらず、牛の乳からダイオキシンや放射能が検出されることもない。まったくのどかで、窓の外では鳥が鳴いていて…

 待った!現実はそれほど甘くない。一家は村でも豊かなほうだが、父親の聖書の朗読は気管支炎による咳でたびたび中断する。肺炎の予兆で、この病気のために、やがて彼は五三歳で亡くなる。炉の薪から出る煙は病状を悪化させる一方だ(とはいえ、彼は幸運な方だろう。イングランドでさえ一八〇〇年の平均寿命は四〇年に満たなかった)。赤ん坊は天然痘で亡くなる。今、この子が泣いているのも、じつは天然痘のせいなのだ。かたわらの姉はほどなく嫁ぎ、酔いどれ夫の財産となる。長男が注いでいる水は牛のような味がする。汲んできた小川の水を牛たちも飲んでいるから。母親は激しい歯痛に苦しんでいる。この間に、上の姉は隣家の下宿人に干し草小屋で孕まされてしまい、生まれてくる子供は孤児院送りになる。シチューは灰色で肉は筋だらけだが、いつもはオートミール粥だから、これでもごちそうだ。木の器から木のスプーンですくって飲む。この季節には果物もサラダもない。ロウソクは高価なので、明かりと言えば、燃える薪の放つ光くらいだ。家族の中で演劇を見たり、絵の具で絵を描いたり、ピアノの演奏を聞いたりしたことのある者は一人もいない。学校教育は、偏屈で厳格な教師が牧師館で数年間教える退屈なラテン語の授業のみ。父親は一度だけ町を訪れたことがあるが、そのときにかかった費用は一週間の賃金に相当した。ほかの家族は家から二、三〇メートルの範囲を出たためしがない。娘はそれぞれウールの服を二着、リネンのシャツを二枚、靴を一足持っているだけだ。父親の上着を買うのにひと月分の賃金がかかったが、今ではその上着もシラミだらけになっている。子どもたちは床においた藁のマットレスの寝床に二人ずつ寝る。ちなみに、窓の外の鳥は、翌日には男の子の罠に捕まって食べられてしまうだろう。

 私の書いた架空の一家が気に食わなければ、統計を見てほしい。一八〇〇年以来、世界の人口は六倍になったが、平均寿命は二倍以上に伸び、実質所得は九倍以上になった。もっと短い期間で考えると、一九五五年と比べた時、二〇〇五年には地球上の平均的な人間は(インフレの影響を取り除いて修正した)所得が三倍近くに、摂取するカロリーが三割増し以上になり、子どもを失う率は三分の一に減り、寿命も三十パーセント以上延びた。また、戦争や殺人、出産、自己、竜巻、洪水、飢饉、百日咳、結核、マラリア、ジフテリア、発疹チフス、腸チフス、麻疹、天然痘、壊血病、ポリオで死ぬ可能性も減った。どの年齢でも、癌や心臓病にかかったり脳卒中を起こしたりしにくくなった。識字率や学校の修了率も上がった。

マット・リドレー『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史(上)』より

さて、これでようやく本題。

トールキンが指輪物語を寓話と見られるのを嫌ったという話はよく聞く。確かに『指輪=核兵器』とか『闇の勢力=ナチス』とか余りにも的外れでアナロジーのない指摘は論外だ。(むしろナチス的な世界観は指輪の自由の民の側の親和性に近い気と思っているがこの件はいずれまた)

だが結局の所、それは逆説的に自分の書いた物語のそこら中に寓話が散りばめられてる事をとみに自覚していたと見る他はない。その極めつけが、指輪物語の冒頭で大抵の初心者を断念させるようにとうとうと語るホビットの社会設定である。あれは、引用の最初の強調部分の通り、理想化された牧歌的社会な訳だ。

トールキンによれば指輪物語は確かな「歴史」であり、我々の現代社会は第五紀か第六紀にあたるらしいが、それによれば数千年以上の昔、第三紀の頃にはこんな『優良種』「ホビット」が繁栄していた訳だ。我々の十九世紀の暮らしとは表面上こそ似ているが、我々が現代文明に頼ってようやく得られた社会水準よりも優れた社会でいられるだけの能力か何かを持っていた。

すなわち本来の我々ならば、機械化と商業化によってようやく選ばれた数十倍〜数百倍の生産労働効率を鼻で笑うほど働き者、そしてそんな仕事をこなしながら、歌でも踊りでも、詩でも謳歌できるほどの余暇を確保できている。しかもその能力は我々現代人の半分にも満たない体格の中に秘められている。そりゃ指輪の呪いも、ナズグルの刃もろくに効きそうにない。

おまけに、老若男女問わずにしじゅうパイプ草(タバコ)をぷかぷか吹かせている身で、医療らしい医療などなくとも、二千年以上の歴史の中で疫病の記録はどうも確認できず、三桁の平均寿命をキープしている。それでいて平和的で純朴、戦争なんて自ら行うことなど考えられない、そんなすばらしい種族がさて、変愚でも幽霊以上のチート種族でもなく、どうして今も繁栄を表立ってなしていないかが不思議でならない。

だが、ともかくこんな優秀な種族に逆立ちしてもかなわない我等現代人は、シャーキー(サルマン)の機械で精神性に劣る、鈍感で歪な、かりそめの繁栄に留まるしかない、上のように必死に語ってもそんなものがホビットの繁栄には遠く及ばないと。つまりトールキンは物語の中でこう言いたかったのだろう。現代ってなんて寒い時代なんだろう。(迫真)

無論、他のファンタジー作品だって、現実の同時代に相当するところよりも人々の暮らし向きを、しばしば理想化して描かれるのが当然ではある。だが、それは別にそれそのものが目的でなく、大抵は作品としてのバランスとしてそういう無意味に生々しい描写を省くか、あるいはもっと素直にエンターテイメント性を追求しているだけに過ぎない。(指輪信者の中でも、特に偏狭極まりない手合いはその辺を特に叩くことでトールキンを持ち上げることは多い)

だが、トールキンの描き方は、マクロな世界観からミクロな文章の一節、行間に至るまで、徹頭徹尾寓話的な枠組みの中で、現代的なそれをロジック的な説明や道筋を魔法や神秘的なものに押し込めて説明なきまま、憎憎しくしか書こうとはしない。それを寓話と見るなと言われても土台無理だ。