2010/11/24
■ [ファンタジー]妖精物語 part1
数日前にトールキン教授の『妖精物語の国へ』をその内批評しようって話をしたと思うが、とりあえず、それ以前に気になる言質がWEBで見つかったので、思うところ書きたいと思う。
この「妖精物語について」(原題:On Fairy-Stories)は気づいた所、訳が2つあって、ここを参考にする限りでは訳し方の方針が全然違うらしく、後者の方にはこういう文がある事をこのサイトで確認した。杉山洋子訳の方で、該当の部分を探してもどうもらしい所を見かけないのは、訳した版が違うのか、何か別の理由でないのか定かでない。しかし邦訳を見る限り、杉山洋子訳のどの文章よりもきついものを感じるので、ちょっと留めておく。
人間の心は嘘で出来てはいない それどころか、その知恵をあの唯一の叡智の主から引き出すのだ そして人はいまもその叡智の主の存在を懐かしんでいる その恩寵から遠ざけられて久しいとはいえ 人間はまだ全く堕ちてしまったわけでもないし、 全く変わってしまってもいない
はい、御免なさい。私めは自分の知恵が神様のものだなんて露知らずのかわいそうなお友達でございます。フェアノールから運命的レベルでシルマリルを取り上げ、サルマンをこき下ろす描写はこういう所から根本的に根付いているものなのか。善き技、良き技は全てイルーヴァタールの恩寵で、それ以外は紛い物で劣等なものに過ぎないっていう感覚はやはり、徹底的なものなのだと思わずにはおれない。
私はあなたがたの進歩的な猿と共に歩もうとは思わない 直立し、分別はあろうとも、彼らの前には暗い淵が口をあけているのだ
正直陶酔に辟易すると同時に、銃夢LOのノヴァ教授の一言が脳裏に浮かびました。神様がおらずとも人間の尊厳は色んな形で補える。むしろ、暗い淵が口を開けていようとも平然と歩みは進められるものな訳です。
いや、半世紀前のそういう風潮に突っ込みを入れても不毛だとは思いますよ。けれど、こういった事を改めて言及することをむしろおざなりにしがちじゃないかと思うのですよ。少なくとも我々は科学技術の所産にトールキン教授ほど絶望してないし、する必要もない。そしてトールキン教授が唱える志向とは全く別の形でも、教授の唱える『健全さ』よりもなお健全なファンタジーが生み出し得る事に楽観的であるべきではないかと。