2010/11/13
■ [読書][ファンタジー]J.R.Rトールキン『妖精物語の国へ』1
指輪、シルマリル、終わらざりしと一通り読んだ上で、ここらで文芸論を読んでみるのはどうだろうかと薦められて即購入。これまでに作品読んでトールキン教授がこういう考えの持ち主なんだろうと察していた所のものは、別に隠し立てされていた訳でない。むしろ教授自身前面に押し出していたものなのだと言うことがはっきりと分かったのが、まず第一の収穫だった。善きキリスト教徒として指輪物語を書いた事に一片の迷いなく誇りに思っていることが、文章からありありと見て取れる。ハイ・ファンタジーの創始者が最初に何を思って創始者になる至ったかを知るには多分、第一に読むべき本だった。
まず当時に存在する限りの芸術──小説、詩文、演劇、絵画などがファンタジーを構築する際にどう作用するかの技術的な問題については、特にここで主として感想を書く程の印象はない。基本的に文章での想像力こそ至上として、絵的であったり先鋭的なメディアについてはごく一部を除いて酷評していた通りの論調で、個人的には半ば同意、半ば疑問が残る。疑問について端的にいうなら、文章系のメディアが脱構築の作用が最も強烈に作用することを意識していない点。具象されないメディアほど、多様な解釈を持つものであり、そこから作者の意図に沿わない独自の世界が読み手にもたらされ得る可能性がある。その点は、中つ国wikiの各用語のコメントでしばしばそれぞれの想像や意見の交換がもたらされている通りである。しかし、トールキン教授の言動にはそういうものが、最終的には自分が描いていた通りの世界が読み手の脳裏に浮かぶと断言して憚らないものが散見される。 そこまでの境地に至ることができるのは、当の教授自身の卓越した神話と言語の知識を持ってこそという前提が抜けている。
本当に主題として論じたいのは世界観についてなのだが、それについては次回以降順々にまとめたい。