2010/12/13
■ [技術][ファンタジー]理系の立場としての指輪物語
自分が語るまでもなく数年来の指輪ファンの界隈においてピーター・ジャクソン監督がサルマン役にクリストファー・リーを起用した事は評価されている。サウロンのように巨大な、それでいて指輪物語中で直接は対峙しない存在の代わりに、ナズグルと並んで直接的に『自由の民』に害を及ぼす存在として、その脅威を演じるにこれほど最適なキャスティングはなかったはずだ。
ここから独自の論旨を加えるならば、その最後がホビット荘でなくせめてオルサンクであった事も相応の救済措置であったと思える。実質サウロンの部下として扱われているのはわずかに残念とは思うが、リー氏がもたらした外見から根本までにじみ出る威風の違いからすればさしたる問題でもない。
何せ原作のサルマンたるや決定的にガンダルフの色違いの如き扱い、全てはその善悪をひけらかすために存在している。台詞は極めて小物に書かれ、教授の描写的な悪意は彼が改築したオルサンクそのものにまで及び、(後述するが善悪は全く別とした所で)挙句エントにアイゼンガルドの全てをブチ壊される。策略も自分に代わって白となったガンダルフに全て破られ、力を失い、それでもホビット荘を利用して再起を図ろうとするもかなわず、最後には自分の手下に刺し殺される。その屍から立ち上った煙が西(至福の地)に向かおうとするのを、マンウェの司である風に立ち消えさせられ、塵一つたりとも中つ国には残されなかった。トールキン・ファンタジーの絶対的な不文律から一歩おいて見てみれば、これほどしかめっ面をせずにいられない流れはない。これに比べれば映画での終わり方はあっさりめに片付けられてるだけ、はるかな温情と言って差し支えない。
モルゴス(メルコール)、サウロン(アウレンディル、あるいはアンナタール)、サルマン(クルモ)の三柱は、アイヌアとして創世の時代から存在していた、あるいはそう大いに推測できるダークサイドである。指輪にせよ、シルマリルせよ、決まってよい描写をされることはない。しかし指輪物語の時代にまで全うな肉体を維持している分だけ、サルマンにはより直接的な教授の敵意が振り注いだ。それは即ち20世紀前半より急激に伸張した科学技術の産物一切、即ち機械化した軍隊(ハーフオーク)であり、林立する現代建築群(アイゼンガルド)であり、黒い煙を吐く工場(ホビット荘の改造した有様そのままの直喩)であった。サルマンはその権化として決定的に教授に断罪された訳である。その辺の被害者としての世代を生きた教授(それですら個人的には功罪相半ばするものであると考えているのだが)にしてみれば満更理解できないでもない構図であるが、はたして21世紀人、特に科学技術に密接に関わる生き方をする者にとってはどう感じるか、自分の代弁をこのブログがすっかり果たしてくれた。
matakimika@d.hatena-THE LORD OF THE RINGS - THE TWO TOWERS
リンクが適当な位置につかないので、そのまま引用させていただく。
サルマンは、現代の人間から見るとその物語への参加の仕方が最もわかりやすいキャ ラクタでもある。彼は運命とか宿命とかではなく自らの野望のために持てる能力を駆 使して戦いをはじめた。アクティブ腹黒おやじ FX 的存在。魔法を手段として(科学 的に)使い、アホな部下共を使えるように組織化し、偵察を怠らず、サウロンにおべっ かを使い、リソースを消費して新たに強力な軍団を(文字通り)作り上げ、周辺勢力 を弱体化させようと心を配り、攻城戦を見越して様々な兵器(爆弾やカタパルトやそ の他諸々の攻城戦兵器。外壁・内壁にかける鉄梯子などはきちんと塀の高さに合わせ てあるなどサルマン氏の細やかな配慮が見られる)を考案・設計し、満を持してウル ク=ハイ軍団をヘルム峡谷へ送り込んで…そして軍団が出払った隙を突かれてエント 達に長年苦労して築き上げた新生アイゼンガルドを滅ぼされるのだ。 あのダムが決壊してすべてが無に帰していく映像に対して、現代人のひとりとしてお れは痛みを共感せずにはおれない。サルマン個人の費やした膨大な苦労、莫大な努力 (条理のもの)が、運命とか物語とかそういった(不条理の)ものによって破壊され る。ああ、そんな無茶な、そんな馬鹿な、やめろおまえらせっかくの。あのシーン で重要なのは自然←→反自然とかそういう生易しい問題などではない。サウロンの 善悪なども関係ない。「意味に共感しうる」動機でがんばっているサウロンが、 「(本質的に)意味に共感しようがない」動機で行動している連中にメタクソにやら れてしまうという点だ。もちろん理屈はあるだろう、がんばりすぎてバランスを崩し てそれが引き金を引いてしまった、なるほどまあそうだろう、それは正しいけどもし かし、サルマンは「エントを怒らせたから」やられたのではなく、「サルマンは負 けることになっていたから」負けたのだ、という言い方もやはり可能なのだ。 アイゼンガルドは予定的に瓦解した。惨状を見るサルマンの胸のうちや如何に。ぶち 壊れた倉庫から最上級の煙草樽をみつけたメリーとピピンの高笑いは、たまたま運命 の味方する側に居たというただそれだけの絶対優位に立つ彼らの、無自覚な嘲笑のよ うに思えてならないわけなのだった。
指輪ファンのサイトはあれこれ探し回ったつもりだが、自分の個人的意見の代弁者とそっくりそのままなってくれたのはこの記事位かも知れない。そもそもトールキン・ファンタジーにおいてはその回帰的世界観に胸打たれることこそが本来の効用であり、こんな話をする事自体が無粋であると言う事の証かも知れない。
だが、『妖精物語について』の中でトールキン教授は、正直指輪の中でごもっともな詩を書き連ねていたとは思えないほど、口汚くそれらの産物を罵っている(それこそ原作サルマンの調子のように)。そんな教授に、あるいはガリバー旅行記のラピュータ島から連綿と続くであろう、科学蔑視、敵視の潮流には一言添えたい。お前ら、どうやって今まで生きてきたんだ、と。
サルマンがイスタリとなったために失った至福の地の技能を、邪悪の技で愚かにも補おうとした行為──すなわち研究なんてのは、説教されるまでもなく恐ろしく地味ですよ、訳の分からぬものですよ。ある意味絶対的な天の不文律に唾吐くような、クソから食物を作り直すかのような不毛な過程の果て、理不尽な理由で結果も不毛に終わることなんで珍しくもない。だが、古代ギリシャに始まり、アイザック=ニュートンの時代以来本格的に蓄積され始めた科学技術の所産は、ファンタジーのどんな絶対的存在よりも重い土台の上で成り立っている。そこではご大層な善の運命に導かれる必要なぞありません。一定の原則さえ貫かれていれば、量は質に転化される。当人すら目的不明なままに仕上がった理論ですら、長き時間の果てとめぐり合わせで日の眼を見る可能性を秘めている。それは指輪の仲間やら自由の民とやらの営みに果たして劣るものなのか。
そんな基盤が現実にある事を無視して、ただ善であれば無条件に所産を肯定され、サルマンの如きある種の硬骨漢を世界ぐるみでいたぶり尽くす世界。そんな世界の創造者が果たして『妖精物語について』の中で工学部の学長のスピーチを皮肉たっぷりに罵る資格があり、『駅のホームの光景より現実的なもの』を主張できるものなのか。ちょっと考え直す向きは、この時代にあって欲しいと思うのでした。
その辺はイーガンにでも食わせとけという気がしないでもありません。失礼いたしました。
いえ、ごとっともな話でございます。ただ個人的にトールキンファンタジーに対するスタンスを、ここで再確認したかった事もありまして。<br>何が嫌いかより何が好きかで語れともいいますし、同じファンタジーでもアンバーとか非常に作風を好んでいるものがあります。今後そっちの話をした折にもお付き合い頂ければ。