2013/02/24
■ [ゲーム論]ローグライク的なゲームとは何かを考察する(持論/前書き編)
前回にBerlin Interpretationとやらを翻訳してローグライクとはなんぞやという問いについて参考例を得ようをした訳だが、このまとめ方が今ひとつ、体系的でもなければ表層的で不満に思わざるを得ないものだった。
それでも一応、ローグライク的な要素を段階的に分けるという発想そのものは筆者も、あるいは他の人々も持っている発想ではあると思う。日本語版Wikipediaのローグライクゲームの記事を見ていても、明確にローグライクなゲームであると見なせるものと、厳密には違うけど、一面的ながらも要素があるだろうと認められるものをそれぞれまとめている。という訳で筆者としても、
- 狭義なローグライク的要素
- 広義なローグライク的要素
- ローグライクの本質ではない要素
の三つに分けて、ローグライクの全体像を俯瞰できるよう考えてみたいと思う。
「狭義なローグライク的要素」とは、「ローグライク」というゲームの1ジャンルとして、ジャンルの大多数が持っている主要な約数をまとめたものとする。勿論全て満たす必要はないが、概ね大半は持っていていないと流石に厳密な「ローグライク」というジャンルには加えられないだろう。(勿論だからと言って「ローグライク」と全く無関係だとか、ましてや駄作と見る必要は断じてない。次項を参照)
「広義なローグライク的要素」は、前述の「狭義なローグライク要素」の実現が、そもそもより抽象的にいかなる本質に根ざしているかを述べたものである。他の「狭義なローグライク要素」にこそ含まれていなくても、そのゲームの諸要素が「広義なローグライク要素」に根ざしているものならば、少なくともそのゲームを狭義な「ローグライク」というジャンルの兄弟や従兄弟として認知し、そういう形でローグライクの源流が発展するしていることを好意的に見るべきである。
「ローグライクの本質ではない要素」とは、例えば初代Rogueの頃にはあったものの、そこからNetHack系、Moria/Angband系、Crawl系などと派生していくにつれて、スポイルされたり、変容していったものを指す。これらは、各ゲームの個性としては認められるべきであるが、それをローグライク全体の主要な要素と見間違えて高らかに語ると、各シリーズやバリアント同士の毀誉褒貶を招いて基本的に徒労か害にしかならない。このような項目で「そうでなければならない」と主張するのは了見を狭めるものでしかないので「そうでなくてもよい」という形でまとめていく。
「広義なローグライク的発想に基づいた、狭義にはローグライク的ではない要素」については、これからも生まれてくる発想であることも期待して、あまり具体的には論じない。それ以外を次回より順に論じてみたい。