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SikabaneWorksが関係するコンテンツ(主に*band系ローグライク)の開発近況・補足から全く個人的な雑記まで。

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2011/03/29

[ファンタジー]自分はいかに『シルマリルの物語』を読んで面食らったか part2

前回 part1

いつかきっと私たちがどんなに渇望しても手に入れられなかった。
自由と平等を皆が当然のごとく生まれながらに持つ世界がくる。
その時かれらは私たちの苦しみを理解するだろうか。

私達を社会の礎ではなく、敵も味方も分からず
殺しあった狂人と思うかもしれない。金持ちが貧困を理解しないように。

長谷川哲也『ナポレオン -獅子の時代-』15巻カバー裏より

持たざる者の飢え

*bandシリーズではランプやアーティファクト装備でお馴染みのフェアノール。エルフの三氏族の中でも、ノルドールが知恵と工芸の種族であることの最初の根源を作ったという点について、血族的な始祖である父フィンウェ、メルコールと直にやりあった異母弟フィンゴルフィン以上に、ノルドールの象徴と言ってよい人物である。

彼はシルマリルの物語の中に描かれる長いエルダール史の冒頭で、実母ミーリエルから生まれた直後死別した。決して珍しくはない話であるが、他のエルフの王族達の出生と比較するに、実の所このようなケースはほぼ見当たらない。エルフは「創造主イルーヴァタールの長子」であり、出生の事情は円満、恋愛事情は常に健全で、子供が愛あふれてに育つことが「当たり前」なのである。仮に穢れた痴情が起きたとしても、それは(おあつらえたように)冥王メルコールの策略や副産物が生み出したものに過ぎない、というのがシルマリル本編の他、トールキンの書簡からも察せられる蓋然的見方である。

その後、父フィンウェは後妻インディスを娶ってフィンゴルフィンを含めた二男二女に恵まれた。このエルフの再婚というのも、シルマリル作中内で後を見ない例となっている。それだけにフェアノールの幼少が穏やかならぬ形であったことは、明らかに類推できるだろう。エルフの不穏な家族関係といえば、エオル・マイグリン親子などもやはりエルフの数少ない例外として描かれ、それが後に隠れ谷ゴンドリンに大きな災いを(やはりメルコールのせいと言う事で)呼び込むことになるのだが、これについては大同小異で後述と同じ指摘の源になる、というだけ述べてとりあえず略する。そのうち別項で語ることもあるかも知れない。

現実に生きる我々にこそフェアノールの生い立ちは同情を呼び得るか、あるいは身につまされるように見えるが、架空世界のエルダールにとっては結局の所異質なものに過ぎないのである。ともかく、このような流れを経て、フェアノールはその後途方もなく飢えた人物になった。鍛冶の技をその神アウレの直弟子マハタンより学び、やがて物語のタイトルにして至高の宝石たるシルマリルを生み出す。このシルマリルはアルダの神話の時代の中で、生命の柱の如き役割を果たしていた二本の木(ラウレリンとテルペリオン)の光より生み出したというもので、世界の源のように言及される存在が秘密の炎から、二本の灯火、二本の木と変遷してきた事も鑑み、これもまたアルダ全体の趨勢を分ける力を宿していると見てよい。最終戦争の予言(ダゴール・ダゴラス)の中において、それはさらに明確に描写されている。

だがシルマリルは、ある意味でフェアノールと同じく飢えたるわだかまりを持つメルコールに、唯一心から愛せる身内、実父フィンウェの命や二本の木もろとも奪われた。事を知ったフェアノールはメルコールを史上最初にモルゴス(暗黒の敵)と呼ぶようになり、七人の息子や一族と共に「フェアノールの誓言」を交わし、そのためには同種族のエルフすら殺す(同族殺害)数々の血塗られた戦いに身を投じるようになる。

これらの流れも、結局の所は多神教の中で頻繁に見られる対立構造と言えるだろう。多くの場合、現実の古代史上で重ねられた部族の血の繋がりや、それによって代々引き継がれる恩讐や愛憎の物語を、やはり自分達の遠い祖先の想像図や、万物の擬人化にまで反映させた結果であると想像しえるものである。

まだ農耕すらも安定した暮らしを与えてくれるとは限らず、医療も福祉もない時代では、生きること自体が大いなる目標であり、肥沃さの薄い土地であれば誰しもが飢えていた。現代の感覚からして見れば、時には些細で馬鹿馬鹿しくも思える財貨の取り合いや毀誉褒貶であろうとも、それは彼らにとって命や一族の興亡がかかった全てであり、それに勇気を持って赴くことは誇りであったはずだ。

そのような背景を思えばフェアノールも、また前回から創造の代より満たされない欲望を抱えているメルコールも、そんな人類の過去から業を背負った点について、行為そのものを多くの点で正当化できずとも、無碍に否定されるべき存在ではない。また、語り部や執筆者は神々や英雄の行為について、あれこれ評価は与えない。ただ事跡や必然的な感情のみを淡々と語ることによってこそ、却って彼らの重みが増すからだろう。

さて、一見多神教的に見えるトールキン世界、アルダの中で彼らはいかなる形に描かれ、いかなる結末を得たか。彼らの内いずれかが飢えを満たせたのか。

物語を既に知っている人は分かると思うが両者とも勝者になれなかった。それだけならばまだしもよくある類型であるが、問題なのは彼らの行為は常に悪行、愚行として取り立てられており、そのような結末に至ることは当然の報いであるかのように描かれている点である。「フェアノールの誓言」などの重要な設定の全ても、彼らの誇りを奮い立たせるのではなく、因業を彼らの自業自得であることに帰せるための、常に自縄自縛の舞台装置として容赦なく彼らを叩きのめすのである。そして、彼らの望んだものの全ては、結果論的に最初から満ち足りている者達、全く別の者達に一切持ち去られてしまうことになるのだ。

メルコールは前回から語った通りのゼウス的地位を遂に得ることなく、アルダという世界そのものから追放されることになり、第一紀は終わる。フェアノールとその息子達の血統は長い戦いやいさかいの中で権力を失い、子孫も後の第二紀に孫の代で断たれることになった。

そして、そんな彼らを尻目とし、最終的に指輪物語の代まで時に途切れながらも永久に続く王統を持ち、常に善の規範(即ち物語の主題)そのものに愛されたの誰か。それは、ベレンとルーシエンと言う、これまたあれこれツっこまずにはいられないトールキン教授とその奥方の自己投影そのものなのである。

次回は続けて、その対比関係について語りたい。