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SikabaneWorksが関係するコンテンツ(主に*band系ローグライク)の開発近況・補足から全く個人的な雑記まで。

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2011/03/22

[ファンタジー]自分はいかに『シルマリルの物語』を読んで面食らったか part1

とりあえず、皆様にはまずヒャッハーな男神とビッチな女神が溢れる多神教チックな神話世界を、知る限りに思い浮かべて頭を切り替えて頂きたい。原初の時代から『原罪』という概念がなく、あるのは万物から擬人化された神々のエゴとエゴのぶつかり合いの軌跡、そしてそこから我々の現実世界にある多くの自然物や概念が生まれていくその過程である。それらを一通りなぞって思い浮かべて、自分にとってニヤニヤが止まらないようなエロスとバイオレンス、そしてスリルが溢れるエピソードをいくつか思い出してくれればなお幸いである。

その上で「シルマリルの物語」のあらすじ冒頭を、敢えて強力に偏った形でなぞってみる。

主神に成り損ねたメルコール

時間の概念すら存在しない原初の頃、創造神イルーヴァタールが天地を創造するために無数の子供──アイヌア達を生み出した。その中の一柱に最も力が強く、しかも多くの技能に優れる「力もて立つ者」──メルコールがいた。彼は万能であるが故、必然的に己一人の手で世界を創造する志向を抱くようになったが、生まれたばかりであるためその方法までは分からなかった。

実際の所、世界を創造するための力と権限を得るためには、まずイルーヴァタールが持つ「秘密の炎」を所有していなければならなかった。イルーヴァタールはあくまで自分が神話以前の頃から持っていたこの権限を、構想している世界の終わりまで、永遠に独占し続けるつもりでいたから、メルコールは無論、他のアイヌア達に創造の技の働き手となり得るだけの一定の力は貸し与えてやっても、己の支配から逸脱するまでの力は決して与えなかった。

その上でイルーヴァタールは自分の望み通りの世界を作るために、アイヌア達個々にみっちりと「歌」を教え込んだ。その合唱をもって世界の雛形が作られる訳である。ほとんどのアイヌアはその効力を知らぬまま、ただ忠実に自分のパートを担当した。だが、なまじ突出した能力をもつメルコールは、その「歌」の効用が自分の望む世界を生み出す第一歩であることを理解し得ただろう。だからこそ、彼はイルーヴァタールから教えられた「歌」のパートから、やがて自分独自の「歌」を生み出すことに成功した。

異なる旋律やフレーズを持つ二つの歌が、同時に歌われて不協和音を起こさない訳がない。この問題に限って言えば、どちらの歌が優れているなどとは全く無関係である。ただ、イルーヴァタールは、メルコールを含んだアイヌアの一切が自分の思い通りに歌わないはずがないだろうと、高をくくっていた。一方のメルコールはイルーヴァタールに教えられる立場で、拙いながらも必死であったから、歌うよう教えられた音律をうまく弄り回し、最終的に自分の思う通りの流れに持ち込むだけの工夫を凝らす労力を払う余地があった。

結果はどうであったか、三つの楽章で構成された「歌」の内第一楽章と第二楽章までが、最終的にメルコールの望む所に帰してしまった。第二楽章の時には子供のやることと思い込み、歌を元の形に戻そうとあれこれ介入を加えたイルーヴァタールであったが、それまでもメルコールに覆されてしまった事で俄かに余裕を失ってしまった。そればかりか、他のアイヌア達の中にはイルーヴァタールが教えた旋律を忘れ、メルコールに同調する者達までもが続々と現れていたのである。

第三の楽章でイルーヴァタールは創造主の先達として、この生意気な息子の形勢を本気になって覆さざるを得なかった。本気を出されてはその技量差にさしものメルコールも敵わない。三審制度の最後で逆転敗訴するような形で、メルコールは敗北した。一方のイルーヴァタールは、ともかく最後の最後で創造の権限を手中に取り戻すことにに成功したが、第一楽章、第二楽章の主導権を奪われた時点で、自分の完璧な構想を打ち砕かれたと見なして憤慨しただろう。自分こそが「秘密の炎」の唯一の持ち主であるはずなのに、その力と権限を「歌」の改変を通じて大きく脅かされた。自分の子供…手駒に過ぎぬ者にである。イルーヴァタールはこの最初の反逆者に向かって実際にこう言い放った。

汝メルコールよ、いかなる主題であれ、淵源はことごとくわがうちにあり。
何人もイルーヴァタールに挑戦して、その音楽を変え得ざることを知るべし。
かかる試みをなす者は、かれ自身想像だに及ばぬ、
さらに驚嘆すべきことを作り出すわが道具に過ぎざるべし。

それはメルコールにばかりでなく、己自身にも自分が唯一、真の創造者であることを言い聞かせて、また世界の法を改めて自分の元に引き入れる呪言であったといえるだろう。一方のメルコールにとってはどうであるか。自分が多くの能力を生まれ持つが故の帰結である「自分の世界を創造する」という最初の欲求を打ち砕かれただけでなく、自分の意思が決して父なる存在に受け入れられることはない、決して報われることがないという、死刑判決に等しい言葉を、よりによって世界の創造の業の最初から下されてしまった訳である。この時点で原初の親子の対立は決定的で修復不可能なものになったと見ていい。

さて、ここまで聞いて最初に浮かべた多神教の神話体系を思い出して頂きたい。「ガイアVSウラノス→クロノス→ゼウス」、「ユミルVSオーディン」あるいは「アプスー&ティアマトVSエア、マルドゥクetc...」、この流れの中にしては比較的穏健そうな「神世七代とその最後としてのイザナギ&イザナミ→アマテラス」、「盤古から伏羲&女カ、三皇五帝」への移行。多くの多神教的世界観ではむしろ原初の存在がずっと世界の権限を持っている方が稀であり、人の世に残るまでの万物のルーツはそれより何代か下った者達の手によって担われる場合がほとんどである。

それについてトールキン神話はどうであるか。「歌」の後アイヌア達はヴァラールと呼ばれる上級の、あるいはマイアールと呼ばれる下級の神格となり、世界の原型に各々の味付けを始めた。しかしその行為は自由意志と持っているように見えて、結局のところ、イルーヴァタール当人が宣言した通りの道具に過ぎないことになる。計画はあくまでイルーヴァタールの手中にあるままだ。

それに対してメルコールは抗った。後にバルログと呼ばれるようになる、「歌」の時点でメルコールの旋律に大きく牽かれた元アイヌア達も、既にこの頃からメルコールと行動を共にしていただろう。その構図は文脈においても雄大さにおいても本来ならば決してウラノス、クロノス、ゼウスの三代の母なるガイアに抗おうとした行為にひけを取らないはずである。 ところが、メルコールの所業は実際のシルマリルの作中にはこう書かれる。

かれ(メルコール)は傲慢により、輝かしき存在から落ち
自分以外の者全てを侮るに至った。破壊的かつ無慈悲な悪霊となったのである。
かれは用いるものすべてを自分の意思通りにねじまげることによって、
叡智を狡智に変え、ついに恥知らずな嘘つきになり果てた。

ゼウスになり得る資格を持つと思われた者がいつのまにか、キリスト教のサタン、ルシフェルのような扱いになっている。しかもミルトンの失楽園などでしばしば描写される、一種の崇高さもその中にはなく、途端に矮小化された描写に満ち始めた。この後もメルコールはその行為や思考について、一切作中で称えられることはなくなる。

ここまで語って何が言いたいかと言えば、以上の流れが、自分がシルマリルの物語を順に読んでいくにあたって、原初の多神教的世界観を想像した中でしょっぱなから面食らった部分である。最初に語ったアイヌリンダレの曲解もつまるところ最初に連想していた所のイルーヴァタールならびにメルコール像だった。何度も言うように曲解には違いないが、事実関係や描写によっては普通に解釈できる余地のある流れであることは、シルマリルの既読者にはある程度理解して頂けるのではなかろうか。

シルマリルを呼んで面食らった事はこの後のメルコールの成し事に加え、フェアノールやその血統に纏わる所まで続く。続きがいつかけるかは分からないがともかく続く。