2011/01/17
■ [ファンタジー]DOES EVERY CHILD HAVE A BEAUTIFUL NAME?
ひさびさにビオ略の人の雑記が更新されてると思ったら、こういうネタだったでござるの巻。
Ω ΩΩ<(ry
ラ行の架空人名が、古典的ファンタジーファンにとって「MAZOKU」に並んで鬼門ということは、個人的にもリア消、リア厨時代の自身の実体験と、リア高時代の友人の著作に散見されているので実に説得力がある。ともかく日本語の「ラ」の子音には、その口の開け方といい語感といい、えもいわれぬ快楽があって、人名に関する社会学的知識や言語学的知識の皆無な日本人の創作者が、自然と引き寄せられてしまうものがあるのだろう。
ビオ略の人は整理中の雑記でもこの通り、商業ファンタジーにすら1〜2の段階がうろちょろしていることに苦言を呈している。CRAUZEL作ってた頃には、やはり1〜2の領域に留まっていた自分をざっくりと刺してくれたものである。てかマルバス(髑髏面)、フルフル-more-、言い訳しておくと、原点の悪魔の性質とキャラのニュアンスだけはなるべく一致させたつもりだが、やはり言い訳に過ぎまい。
今はどうだって?CRAUZELのリメイクのために、全員名前を洗いなおした上で、魔道、聖教の各文化圏毎に頻出する名前と語源をある程度設定して一貫性を蓄えているつもりなので3まで行ってると信じたい。知識を蓄えた上で、さらにクオリティを4に上げようとしているつもりなんだが、正直今でも1にずり落ちてないか心配ではある。
そして、上リンクの表で「某言語学者」と濁さずともトールキンが別格に評価されていることには流石に異論はない。ハイ・ファンタジーと作るためにどういう基盤を揃えるべきなのかという寸法を整えた点では、トールキンは紛れもなく『神』である。ともかく、ファンタジーで名前を大事にすべきと言う発想はこの人を通じてトールキンから教わった。返す返すも感謝したい所なのだが、
もう少し こう 何というか 手心というか… (牛股)
いや、なまじ現代日本が外国人と恒常的に接する機会がまだまだ限られている上に、今時苗字と名前以外の概念が無いんですから仕方ないじゃないですか。そうぶっきらぼうに疑問に思った人にふらんでも。むしろそういう所から自分の知ってる現実とは異なる世界観を感じ取ってもらって、のめり込んでってもらえばいいんですから。
グハァッ!(吐血<br><br>真面目にこのままではまずいな、と自分のキャラクターたちのネーミングセンスを確認して再確認。<br>骨格と言語の関係とかエトセトラ組み合わせて言葉や名前を作ってやれるようにならねば・・・。
名前ってのは結局、社会や文化と切り離して考えることのできない要素だから、それがいい加減ということは世界観そのものがいい加減と言って過言ではないということで。本格的に考えたいなら、そういう所から補強してくのがいいんじゃないでしょうか。